手を伸ばせば触れる距離  (6)






「まずは、この間の電話な。あれは姉貴からだ」
「お姉さん?」
「そう。5つ上なんだけど、俺が中学んときに家出してさ。ずっと音沙汰なかったのに俺が大学入った年にひょっこり帰ってきたんだよ。子どもつれてさ」

“しばらく見ないうちに、それなりにいい男になったじゃない?”

久しぶりに帰った実家で、久しぶりに会った姉、美里はそう笑って言った。
そこにいるだけでも驚いたのに、その腕には小さな子どもを抱いていて。
「父親は子どもができたと知った途端にトンズラ。変なとこで強情な姉貴は、一人で産んで一人で育てようとした。家族のところにも戻るのは躊躇したらしい」
そんな彼女を動かしたのは、やはり我が子だった。

“未熟児で産まれたからか、身体が弱くてね。目が離せないの”
“家を飛び出した私が今更甘えるのはおかしいって分かってたんだけど・・・この子を失う方が怖かったのよね”

そう心情を語ったときの姉貴の顔は、確かに母の顔だった。
それは今まで見たこともない顔で、こんなにも変われるものなのかと不思議な気持ちになったのを覚えている。
「で、その子ども・・・美希ってんだけどさ。それがここ最近また体調崩してたんだよ。そしたら、今度は高熱で病院運ばれたって連絡あって・・・」
それが、ちょうど一週間前。泰成と飲んでいたときのことだ。
「救急車で運ばれたってのは初めてのことで姉貴も俺も慌ててさ。事情話すのも何か恥ずかしくて、そのまま・・・。ホント悪かったな」
「いえ。それよりも、その子は大丈夫なんですか?」
「ああ、入院して2、3日したら元気になった。今はもう平気なんだけど、姉貴の方が神経質になってて夜は俺にまで面倒見させる始末だよ」
おかげで実家と部屋との無理な往復の日々。泰成に連絡できなかったのも、ベッドに行くのさえ面倒なほど疲れてたのもそのためだ。
連絡一つも出来ないなんて情けない話だが、疲労と妙な意地とで実際に何も出来ず。
一番事情を知っている恭平が心配して連絡をくれ、さらに気を遣って泰成にも知らせてくれなかったら、もうしばらくこのままの状態だっただろう。
「・・・2年前、お前に逃げられて、必死で探しても見つからなくて。半分ヤケになってる時にさ、姉貴が言ったんだよ」

“最近のあんたになら美希の世話任せても良いと思ったんだけど、私の気のせいだったのかしら?”

赤ん坊の美希を連れて帰ってきた頃、誠一は酷く遊んでいる時期だった。
適当に女ひっかけては遊んで。正直、付き合ってる女に恋愛感情をもっているヤツなんていなかった。
だけど泰成に出会って、姉の目から見ても誠一は変わった。

“好きっていう気持ちが分かんないヤツに、可愛い我が子を任せられないわよ”

それが美里の口癖だった。その美里が、誠一に任せてもよいかと考えていたと言うのだ。
「それでまあ、ふっ切れたっつうか。ヤケになるより、自分に正直に生きようってな。諦めるのも嫌だったし・・・実際、美希の面倒見てたら、 後ろ向きになんかなってられなくてさ」
そう言う意味で、美希は恩人なのだと誠一は笑う。
だからこそ、今回も無理を押してでも助けたいと思ったのだ。大事な姪を、可愛い恩人を。

「お前に会えないのは辛かったけどさ。俺自身、余裕がなかったって言うか・・・悪かった」
「・・・何で、そのことを言ってくれなかったんですか?ただ、面倒とだけで・・・」
声が少し震えているかもしれない。
誠一の事情など、本来自分に話さなくてもよいものだというのは承知している。
だけど、せめて一言でも言ってほしかったと思ってしまう自分は・・・相当、我が侭なのかもしれない。
「あー・・・まあ、余計な心配かけたくなかってのと・・・ちょっと照れくさかったんだよな、こういう話すんのは」
「・・・」
「でも、聞いてもらえて良かった。お前がいると、やっぱり落ち着くわ」
にっこりと微笑みかけられるのに、体中の血液が上昇するのを感じる。
きっと顔は真っ赤になっているに違いない。
それくらいに、誠一の表情は柔らかく、泰成を動揺させるには十分すぎるものだった。
「ぼ、僕、これで失礼しますっ」
「は?や、何を急に・・・」
「あ、あの、コンロの上の鍋に、勝手に作ったものがあるんで、良ければ食べてください。じゃあ失礼します!」
「泰成!」
大慌てで逃げるように部屋を飛び出す泰成の背中に、泰成とは反対に落ち着いた誠一の声が届く。
思わず立ち止まって振り向けば、同じく立ち上がった誠一が手を挙げて言う。
「落ち着いたら、また連絡する。ありがとうなっ!」
そして笑った顔に泰成は何も言うことが出来ず、ただ一礼して逃げるように部屋を後にした。







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05.06.03





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