手を伸ばせば触れる距離 (5) |
食べ物の匂いに、ふっと意識が上昇して目を開く。 ぼうっとした頭でいつ自分のベッドに寝たのかを考えて、そういえば泰成が来たことを思い出す。 「・・・そうだよ、泰成っ!」 思い出したと同時に、慌てて飛び起きる。 都合の良い夢でなければ、確かに泰成が訪ねてきてくれていた。 何だか酷く安心したのまでは覚えているが、まさか本当に寝てしまうとは。 「泰成!?」 夢じゃないことを祈りつつ、キッチンにもなっている部屋の扉を思いきり開ける。 だが、そこにも泰成の姿はなく、いつの間にか綺麗に片付いたコンロの上に鍋が置かれているだけだった。 蓋を開けて中身を見てみれば、まだ少し湯気がたっている。起きた時に匂ったのは、これだったんだなと妙に納得する。 「は・・・逃した魚は大きいってか?」 あれだけ汚かった流し回りが片付いているということは、誰かが片付けたということ。 自分が片付けた覚えもないし、他に訪ねてきそうなのといえば恭平くらいだが片付けてくれるとも考えられない。 ましてや、料理を作っていくことなど有り得ない。 すなわち、都合のよい夢なんかじゃなく、現実だったということ。 だが今いないならば夢だったのと大して変わらない。 「っあー・・・俺のバカ・・・っ」 一体、どれくらいの時間寝てしまったのだろうか。 そんなに長い時間ではないとは思うが、久しぶりにゆっくり眠れたから、それも分からない。 あまりに間抜けな自分に、思わず頭を抱えてうずくまる。 「もう起きて平気なんですか?」 現実に打ちひしがれていると、ふいに背中から声がかかる。 慌てて振り向けば、玄関と扉を開けて入ってくる泰成の姿が見えた。 よく見るとその手にはコンビニの袋があり、どうやら買い物にでも出ていただけだと知る。 「どうしたんですか?ぼうっとして」 「・・・帰ったのかと思った」 「・・・起きるまではいるって約束でしたから。もう大丈夫なようなら帰りますけど」 「ちょっ、待て、まだ本調子じゃないから!」 そのまま本気で帰りそうな泰成を必死で止めて、とりあえず座らせることに成功する。 できるだけ長く引き留めたくて、久しく使ってなかったコーヒーメーカー(これも泰成が洗ってくれていた)で時間をかけてコーヒーを入れる。 「でもホントに驚いた。まさか来てくれるなんて思わなかったから。ありがとうな」 「・・・いえ。僕の方こそ、勝手に入ってしまって。すみませんでした」 「ああ、そんなん気にすんな。実際助かったし、それにお前ならいつでも大歓迎」 さらりと言われることに内心で焦って、結局何も反応できず、そのまま黙ってしまう。 と言うより、何を話して良いのか分からないのだ。 倒れてる(実際は床で寝ていただけだが)のを見たときは慌てて、とにかく休ませなければと起きるまではいるからと約束までしたが、 冷静になると何をしているんだろうと思う。 ここにいれば、誠一のことが気になって心配で訪ねてきたとわざわざ言っているようなものだ。 それは事実ではあるが誠一に知られたくないのも事実。 寝ているうちに帰ってしまえば済むことだったのだが、鍵をかけないと不用心だとか約束しちゃったしとか、考えては帰るのも躊躇われた。 結局手もちぶさたで皿洗いして簡単な料理までして・・・本当に何をしているのか。 「それとごめんな。何も連絡できなくて」 ふいに、本当に申し訳なさそうに謝られるのに、反射的に顔をあげる。 「あのっ・・・」 「ん?」 何?と訊いてくる誠一に、一瞬訊いてよいのか迷う。 だけど、どんなに自分を誤魔化しても本当は分かっているのだ。 何故、誠一が寝ている間に帰ることができなかったのか。 ・・・自分の知らない誠一が、気になってたまらないから。ただ、それだけ。 訊くなら、今しかないように思えた。今を逃せば、きっと自分はずっと訊けない。 覚悟を決めた泰成は、一度ごくりと唾を飲み込んでから、口を開いた。 「・・・僕が踏み込むことじゃないのは分かってるんですが・・・1つだけ、訊いてもいいですか?」 「1つと言わず何個でも。何?」 「・・・何があったんですか?」 生まれた一瞬の沈黙に、やはり訊いてはいけなかったのかと後悔する。 でも、できることならば、聞かせてほしい。そう願って、誠一をじっと見つめる。 「・・・気になる?」 だが、ややあって聞き返された言葉に揶愉が含まれているのには気が付いたが、素直に頷く。 事実、ずっと気になっていたのだ。誠一があんなにも焦るのを見たのも、こんなにも疲れているのを見たのも初めてだから。 帰るに帰れなかったのも、そのせいなのだから。 「あー、あんまり楽しい話じゃないけど・・・それでも良い?」 「話してくれるなら、聞きます。だけど話したくなければ無理はしないで下さい」 「・・・お前ならそう言うと思った」 そう言って微笑んでから、誠一はできたばかりのコーヒーをカップに入れて机に置く。 「ちょっと長くなっちゃうけど・・・」 目の前に座り、そう切り出した誠一の言葉に、泰成は頷いて、耳を傾けた。 >> NEXT 05.05.30 |