in bygone days (3)





歯車が狂い始めたのは、いつからだろう。


拓弥は、離れていた1年の間に随分と大人になったように思う。
家事も危うい手付きながらもこなしていたし、勉強も以前より頑張っているように見えた。
「あのね恭ちゃん、俺バイトすることにした」
拓弥の作った夕飯を二人で食べているとき、突然バイトすると言い出したのは一緒に住みはじめて1ヶ月たった頃。
「バイトって、何するんだ?」
「駅の近くにある喫茶店。実はね、もう来週から入ることになってるんだ」
だからもうおこづかいいらないって、おばさんに伝えておいて。
にっこりと笑顔で告げられるのに、ただ頷くしかできない。
川崎家にきてから、拓弥には少しのおこづかいが渡されていた。
それらを必要最低限しか使っていないことも知っていたし、拓弥なりに気にしていたのかもしれない。
だから、了解すれば嬉しそうにバイトの詳細を話しはじめる。
それに相槌を打ちながらも、どこか寂しい気持ちになっていた。
何故だかはよく分からなかったけれど。
大人になっていく拓弥が、自分を必要としなくなる気がしていたのかもしれない。



「恭ちゃん・・・まだ、起きてる?」
「ああ。いいよ、おいで」
控えめに顔を出すのに、頷けばホッと息をついて、嬉しそうにベッドに上がる。
拓弥はたまに、こうして夜に部屋を訪ねてきた。
学校もバイトも順調らしいが、それでも何か不安になるとこうして甘えてくる。
何かを愚痴るわけでもない。相談されるわけでもない。
ただ何気ない話をするだけだが、それだけで気分はいくらか晴れるらしい。
俺の知らない時間、拓弥が何をして何を思っていたのかを聞くのも楽しかったし、正直この時間は俺にとっても貴重なものだった。
ふと気がつくと、話し疲れたのか俺のベッドの上で眠っていた。
気持ちよさそうに寝息を立てる姿は、まだ幼くて。
昔、ずっと守ってやると誓ったことを思い出す。

「・・・幸せそうな顔しちゃって」
さらりと髪をすくえば、小さな声とともに寝返りを打つ。
あどけない寝顔。
きゅっと軽く握った拳を胸のあたりに持っていくのは、小さい頃から変わらない癖。
何だか懐かしくて、それから少しだけ嬉しくなる。
まだ、拓弥は俺の側からいなくならないと、ただ漠然とそう思えるから。
もう一度髪に触れて、その感触を楽しむ。
少し茶色がかった柔らかい髪も、昔と何も変わらない。
規則正しい寝息を立てる唇も・・・―――

「―――・・・っ!?」

今、何をした?
自分の行動に驚いて、反射的に身を起こす。
でも、今確かに。
引き寄せられるように、口付けていた。

信じられなくて、右手を自分の唇にあてる。
だがそこには、たった今触れた暖かい感触が残っている。
「俺は、何を・・・?」
拓弥が起きた気配はない。
だが、どうしようもない罪悪感だけが込み上げて、俺は急いで部屋を飛び出した。





「恭ちゃん、昨日はごめんね。ベッド占領しちゃって」
「・・・ああ、別に気にすんな」
「でも、恭ちゃんどこで寝たの?」
起きたらいないからビックリした、と覗き込むように訊いてくる。
それに曖昧に返して、逃げるように用もないのに大学へ行くといって部屋を出る。
自分でも信じられないくらい、昨夜から調子が出ない。
拓弥の顔をまともに見られない。
「・・・当然か」
自嘲するように呟いて、今日何度目かの溜息をつく。

結局一日中、何をするわけでもなく、ただ思い出すのは拓弥の顔と昨日の自分の行動。
顔をあわせることが初めて戸惑いを感じながら、のろのろと改札を通る。
しかし、人間、見たくないものこそ目に付いてしまうもので。
何気なく通った、いつもとは少し外れた道。
聞き覚えのある店名に、ふっと店内に視線を向ければ、そこにはバイト中なのだろう拓弥の姿。
外に俺がいるなんて思いもしないのだろう、せっせと働いている。
当然それは、今まで見たこともない光景で。
頑張っているなと微笑ましい気持ちと、ここ最近感じる寂しさが同時に生まれる。
ふいに、拓弥が眼鏡をかけた店員に何か耳打ちされ、楽しそうに笑う。
瞬間、湧き出た気持ち。

―――・・・拓弥は、俺のものだ。

ハッキリとそう思ったことに、驚いて急いでその場を後にする。
おかしい。
こんな想いは、絶対に何かの間違いだ。
大事な弟だ。ずっと見守ってきて、できればこれからも見守っていきたい。
誰よりも幸せにしてやりたくて、笑っていてほしくて・・・
ぐるぐると、今まで過ごしてきた日々が思い出される。
離れてからの1年、そして昨夜の自分の行動・・・

そして、自覚する。
もうどうしようもないほど、拓弥に惚れているということを。







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05.07.24





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