近くて遠い距離 (5) |
「あー・・・疲れた」 メグ先輩に無理やり連れまわされて、ようやく逃げ出せたのが今から1時間前。 終電が残っているうちに切り上げられたのは奇跡に近いと思いながら、上着だけ脱いでベッドに倒れこむ。 酒には強い方だが、あそこまで集中的に飲まされれば流石に酔いも回る。 さらにメグ先輩のご機嫌取りも久しぶりで、とにかく頭が痛くなるほどの疲労を感じていた。 ちょっと前までは、毎晩のように遊び歩いていたと言うのに、少し間をあけるとこんなに身体がついていかないとは。いや、身体と言うより精神的にだろうか。 内容のない会話とバカ騒ぎが、こんなにも疲れるものだとは思ってもいなかったはずなのに。 「んー、癒されたい」 うつ伏せになっているだけで大分眠気が襲ってきている。 放り投げた携帯を片手で掴み、時間を確認すれば、とっくに日にちは変わっている時間。 普通なら、大抵はもう寝ている時間だろう。 電話をするには迷惑な時間だってことも、十分承知しているのだけれど。 「酔っ払いだから、仕方ないよなー」 誰も聞いていないのに、自分勝手な言い訳をして、発信ボタンを押す。 1コール2コール・・・6コール。 さすがに出ないかと思ったところで、少し不機嫌な声が聞こえてきた。 「悪いな、こんな時間に。起こしたか?」 『・・・いえ、まだ寝入ってはいなかったので。何の用ですか?』 「宮崎さ、明日、いやもう今日か。暇?」 『・・・バイトですけど、それが?』 「朝から?夕方から?」 『・・・朝からです』 「じゃあ5時くらいには終わるだろ?その後でも付き合ってよ」 『は?』 「OK?じゃあ6時に、んーと2号館の前な」 『ちょっ、まだ行くなんて・・・っ』 「どうしてもダメだったら電話して。じゃあな」 一方的に約束を取り付けて、反論を聞く前に通話を切る。 夜中にこんな電話じゃあ怒ってるかもなぁと思いながら、宮崎の声を聞いただけでさっきまで感じていた苛々や疲労感が消えた気がするんだから不思議なもんだ。 態度はとことん冷たいのに、宮崎は妙な癒し効果がある気がする。 それは、ここ最近一緒にいて感じていたことだが、電話だけでもこんなに効果があるとは予想外だった。 明日会えたら、もっと癒されるかもしれない。 「あー、でも明日はさすがに来てくんないかもな・・・」 こんな迷惑電話での約束事なんて、俺だったら確実に無視する。 ちょっと失敗したかなぁ、なんて思ったのを最後に、睡魔に誘われるがままに目を閉じた。 「あっ」 宮崎との約束の時間まではまだ大分あるが、昨日の今日だからサークル室に顔を出すのも嫌だと、図書館に向かっていた途中。 すれ違う直前に不意に声をあげられ、何事かと目を向けるが、知らない男が気まずそうな顔で見ていた。 「なに?」 「あー・・・伊藤さん、ですよね?」 「そうだけど、あんたは誰?」 「川畑と言います。宮崎泰成の友人です」 思いがけず飛び出した名前に、改めて目の前の男を観察してみる。 言われてみれば、宮崎の隣によくいたかもしれない。 そうだ、確か以前宮崎と笑いあっていたのもこんな顔だった。 「で、その友人が何の用?」 「用って言うか、思わず声が出ちゃっただけなんですけど・・・ああ、でもせっかくだから1つだけ」 何を戸惑っているんだか、少し俯いて何かを考えていたが、すぐに何かを決意したようにこっちを見据えてくる。 「宮崎にちょっかいかけんの、やめてくれます?」 「はぁ?」 「最近の宮崎、様子がおかしいんですよ。何も話さないし、いつも通りに振る舞ってるけど絶対おかしい。それってあなたが関係してるんじゃないですか?前からあなたの前だとおかしくなってたし」 おかしい、ね。こいつの言うところの「いつも通り」が分からない身としては、どこがどうおかしいのかは良く分からないから何とも言えないが。 とりあえず言えるのは、いきなりそんなこと言われても不快だということだ。 「それを何でただの友人のあんたが言うわけ?」 「余計なお世話なのは分かってます。でも失礼ですけど伊藤さんはそういう関係のいい噂聞かないし、宮崎はああ見えて繊細だから。遊びで近づくのは止めてほしいんです」 「じゃあ何?本気なら良いの?」 それは本当に何となく自然に出た言葉だったのだけれど。 宮崎の友人を名乗る男は、面白いくらい固まった。 「・・・・・・本気、なんですか?」 今度は俺の方がフリーズする番だった。 本気なんかじゃないはずだが、すぐに否定する言葉は不思議と出てこない。 面白そうなヤツだから、実際に面白かったから、だから近づいた・・・それだけのはずなんだけど。 「・・・ま、ご忠告はありがたく受け取っとくよ」 まだ少し混乱しているが、何事もないようにどうにか一言だけを残すと、まだ何か言いたそうな男を無視して、さっさとその場から離れた。 それから約束の時間までずっと、頭の中で何度も「本気なんですか?」と川畑という男の言葉が繰り返される。 好きかどうかと訊かれたら、好きだと答えるだろう。 恋愛感情とは違うだろうが、少なくとも今一番のお気に入りだ。 なかなか懐かないし、態度はとにかく冷たいが、突っつくと面白いし意外と可愛いとこがあるしと、ついつい構いたくなる。 大学以外のところで会うとそんな一面が特に見られるので、ちょこちょこ誘っては連れ出した。 一日中拘束しない作戦が良いのか、今のところうまい具合にのってきている。 それをいつの間にか楽しみに、していたのか? 昨日だって非常識な時間に電話して、無理やり約束を取り付けたのは、癒されたいと思ったからだったような・・・ 約束の時間に宮崎が現れたときだけは妙にホッとして余計な言葉は頭から離れたが、しばらくするとまた川畑の言葉が思い出される。 惑わされるつもりはないが、気にしてみると確かに宮崎の様子がおかしいように見えてくる。 「迷惑?」 「え?」 「今みたいに連れ回されるの。ずっと下向いてばかりだし」 「・・・っ、そんなこと・・・」 「お前ってさ、毒舌なわりに肝心なことは言わないのな」 困った顔。そういえば他ではあまり見ない。こう言うときは大抵苦笑しているだけだ。 ああ、でも俺と二人のときはこの表情を良く見せる気がする。 結構好きな表情なんだけど・・・つまりは、俺といて困っているってことだよな。 自分で出した結論に、ちょっと凹む。 「・・・別に、嫌なわけじゃないです」 「え?」 「本気で嫌なら、最初から付き合いません」 言いながら、自分の言葉に少し驚いた様子を見せる。 言葉にして初めて気が付いた、というところだろうか。 まあ嫌じゃないなら良しとするかと思っていると、まだ何か考えていた宮崎がふいに顔をあげる。 「どした?」 「・・・先輩が言ったんでしょう?」 「何を?」 「下、向くなって」 そういうつもりで言ったわけではないし、そもそも「下を向くな」とは言っていないのだけれど、宮崎は至極真剣な様子だ。 嫌じゃない、と言った手前、それを証明しようとしてくれているってことだろうか。 「・・・ははっ、お前ホントに可愛いな」 「はぁ?ついに目もおかしくなりました?」 「口は可愛くないのになー」 一度笑い出したら止まらなくなって、そんな俺に不満そうに口を尖らせていた宮崎もつられたように笑顔を見せる。 それは前に見た愛想笑いなんかと違い、自然に浮かんだものだろう。すごく柔らかくて、思わず目を奪われる。 ―――・・・ああ、やっぱり好きかも。 その気持ちは、ストンと自分の中で落ち着いて。 人に言われて自覚するって何だよと自分に苦笑するが、それ以上に何だかすごく気持ちが軽くなっていくのを感じた。 >> NEXT 08.05.03 |