近くて遠い距離 (2) |
「よう!」 「・・・・・・どうも」 4限に経済の1年必修の授業があるという情報を掴み、終わるのを廊下で待っていると、ぞろぞろと出てくる中から目当ての男の姿を見つけた。 偶然を装って挨拶をすると、少しの間を置いてまた会釈が返ってくる。 礼儀正しい素振りなわりには、その表情には「誰だっけ?」とクエスチョンマークが浮かんでいる。 「忘れちゃった?サークルで一緒の、伊藤誠一。3年生」 「・・・ああ。すみません、ちゃんと顔を覚えていなくて」 「まあ1回しか会ってないからねー、仕方ないっしょ」 「そう言っていただけると助かります」 妙に硬い口調。先輩に対しては、もう少し愛想良くしても良いんじゃないかと思わなくもない。 まあ初対面に近いわけだし、警戒してもおかしくないか。 「まあ、これから一緒にやってくわけだしさ。覚えててくれると嬉しいわけよ。んじゃ、またな」 とりあえずの目的は顔見せだから、長居はしない。 じゃあなと背を向けてから、ちらりと後ろを振り向けば、同級生らしき男に話しかけられいるのが見える。 ・・・ふーん、愛想笑いもできるんじゃん。 ほんの少しの笑みではあるが、先ほどは全く見せなかった表情だ。笑うと印象が冷たいから優しいに一気に変わる。 「でも、愛想笑いじゃあなぁ」 それじゃあ面白くない。どうせなら何かこう、滅多に見られないようなのが見たい。 道はとてつもなく長そうだけれど、まあゆっくりと攻めていくことにしよう。 それから、毎日のように宮崎の前に姿を現した。 偶然を装って、すれ違う程度。場所は、学食だったり廊下だったりと様々で、会話も挨拶程度のものだ。 「よー、宮崎。今日はもう終わりか?」 「・・・伊藤先輩」 もう驚きもせず、聞こえない程度のため息を漏らす。 さすがに1ヶ月近く続けば、偶然と呼ぶには不自然だと言うことに気がついているのだろう。 少しだけ、困った顔。相変わらず表情の変化は少ないが、それでも大分見せてくれるようになってきた気がする。 それだけ慣れてきたということか。飽きもせずに毎日顔をあわせた甲斐があるってもんだ。 「今日は俺、サークルに顔出そうかと思うんだけど、宮崎も行くか?」 「いえ、今日はバイト入ってますんで」 「そう?そういやバイトって何やってんの?」 「・・・喫茶店です。小さなところで」 「へー。ああ、でも宮崎は似合うかもな。何て言うの?雰囲気?宮崎のそういうの、俺は結構好きなんだよね」 この前見た愛想笑いなんかを自然に浮かべて接客する姿は、意外と簡単に想像できる。 チェーン店と違って静かな雰囲気なら、尚更似合いそうだ。 店長というかマスターみたいなのがいてさ。まあ全て勝手な想像だけど。 しばし勝手な妄想を楽しんだ後で宮崎へと視線を戻すと、いつもとは違う表情を浮かべていた。 驚いたような、困ったような。それでいて、少し照れたような表情。 普段はどちらかと言うと冷たい印象を感じさせるだけに、それはひどく不思議なものを見ている感じで・・・ 「宮崎って、何気に可愛いのな」 「はぁ?・・・それ、男に言うセリフじゃないと思いますけど」 「いや、そうなんだけどさ。でも今のお前には似合う形容詞だろ」 「目がおかしいんじゃないですか?」 そんな憎まれ口も、さっきの表情を見た後じゃあ照れ隠しではないかと思えてくる。 つまり、素直じゃないってこと。 「相変わらず何もない部屋だな」 「お前の部屋も大して変わらないだろ」 「そうか?俺んとこは雑誌やらCDやらが散乱してるけど。あ、あと服も結構増えたな」 借りたい本があったから、久しぶりに恭平の部屋を訪れたのだが、相変わらず親友の部屋は殺風景だ。 掃除が楽だからという理由で、生活に必要なもの以外にはパソコンと本箱くらいしかない。 余計なものと言えば、拓弥にもらったのだという変な顔したカエルの置物(どうやら修学旅行で買ってきたらしい)くらいだろう。 本人に言わせたら大切なものらしく、きちんと飾ってあるのがこの部屋には似合わなくて少し笑えるのだが、ブラコンの恭平に言ったところで無駄だろうから黙っている。 俺への土産は食べ物だったよなぁと思いながらカエルを眺めていたら、本箱の前に立っていた恭平から、「ほらよ」と本が飛んでくる。 「あぶねーな。ぶつかったらどうすんだよ」 「破れたら弁償しろよ」 「俺じゃなくて本の心配かよ。ってか、それなら最初から投げるなって」 ぶちぶちと文句を言ってはみるが、恭平は聞こえないフリをしている。 冷蔵庫から取り出したペットボトルを今度はきちんと目の前まで持ってきてくれてから、ベッドの上に腰掛ける。 「そういや、最近は落ち着いてるのな」 「何が?」 「お前の悪趣味なお遊び。ようやく改心したのか?」 「ああ、それねー」 合コンくらいは一緒に行ったことはあるが、どちらかと言えば淡白な恭平が俺の遊びに呆れていたのは知っている。 あからさまに止められたことはないが、いつか刺されても知らないとか拓弥に悪影響を与えたらぶっ飛ばすとか、結構分かりやすく言われてきた。 無関心なフリして何気に心配してくれているのを分かっているから、最近の心境の変化くらい説明する義務はあるかなと思う。 「今は、もっと面白いこと見つけたからね」 「どんな?」 「んー、ちょっと気になるヤツがいんのよ」 意味深な言い回しをしてみるが、恭平は特に面白い反応も見せずに視線だけで話の続きを促す。 「サークルの1年なんだけどさ、これが結構変わったヤツで。結構分かりやすく近づいていってんだけど、これがなかなかなついてくんないのよ」 元来、人当たりが良いからか、大抵が何度か話しているうちにフレンドリーになる。 それは先輩後輩問わずで、おかげで無茶してるわりには大したトラブルもなく学生生活を謳歌しているわけなのだが、宮崎にだけは未だに警戒を解かれないのだ。 毎日顔を合わせているだけ、大分表情を見られるようになったが、それでもまだ少ない方だろう。 以前、本当に偶然見かけたときは、一緒にいた友人らしき男と楽しそうに笑いあっていた。 相当気を許しているのだろう、サークルで見せる愛想笑いとは全然違う笑みに驚いて、あれを向けられるまではちょっかいをかけ続けようと決めたのだ。 「そいつにしてみたら、いい迷惑だな」 「だろうなー。でも面白いんだよね。可哀想だけど、もう少し付き合ってもらうわ」 「まあ今までよりはマシだけどな。相手が本気で嫌がる前にやめておけよ。やりすぎたら犯罪だ」 「そこまではしないって」 もちろん、今だっていつもの遊びもそれなりにしてはいるが、宮崎を見ている方が何倍も楽しいのだ。 珍しい相手だからかもしれない。こうやって誰か一人に絞って、時間をかけて近づいていくのも今までないことだから、それもはまっていく要因かも。 仲良くなってどうこうと言うわけでもないのだが、少しずつ表情が見られるようになったのが妙に嬉しいのだから不思議な感覚だ。 8月には合宿があるし、もう一歩打ち解けるには良い機会だろう。 さあ、次はどんな話をしてみようか。考えるだけで楽しくて仕方ない。 「まあ、せいぜい逃げられないようにな」 にやにや笑いに気がついたらしい恭平が、やっぱり呆れたように言ってきたが、それでも笑いを止めることは出来なかった。 >> NEXT 08.04.16 |