手を伸ばせば届く距離  (1)





初めて出会ったときは、こんな人間もいるんだなとしか思わなかった。
興味を惹かれなかったと言えば嘘になるが、それ以上の想いはなかった。

気が付いた時には、いつの間にか僕の中に入り込んでいて。
手に入れたと思ったら、するりとすり抜けていった。
裏切られた自分。
いや、最初から遊びでしかなかったのだ。
そう頭では理解しているのに。

それでも、未だに想いを引きずっている自分を・・・認めたくは、なかった。







「よう、拓坊。元気にしてるか?」
「あ、誠一さん。いらっしゃいませー」
カランと小気味いい音をたてて開かれた扉から、誠一が人懐こい笑顔で入ってくる。
それをウェイターである拓弥が笑顔で迎えていた。
週に一度は見られる光景。拓弥が恭平と出会ったときからの知り合いだというのだから、もう長い付き合いなのだろう。
拓弥も誠一を慕っているようで、この訪問を楽しみにしている様子もあった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ああ、ホットコーヒーを頼む。アメリカンね。・・・しかし、相変わらずだな、泰成」
「アメリカンですね、少々お待ちください」
マニュアルどおりの受け答えをして、泰成はそのまま踵を返す。
後ろから肩をすくめている様子が伝わってきたが、それは綺麗に無視する。
「・・・ねぇ、誠一さん。恭ちゃんに聞いたんだけど、宮崎さんって誠一さんの大学時代の後輩なんでしょ?」
「そうそう。同じサークルのな」
泰成に聞こえないように、こっそりと訊いてくる拓弥に、誠一も小声で答えてやる。
「じゃあ何でいつもあんな態度なんだろ?宮崎さん、いつも優しいのに。誠一さん何かしたの?」
「んー、したと言えばしたし・・・まぁ、あれだ。あいつの態度は一種の照れ隠しみたいなも・・・」
「お待たせいたしましたっ」
心配そうに訊いてくる拓弥に、少しふざけた答えをしていると、それを遮るかのように目の前にドンっとばかりにコーヒーが置かれる。
そのまま目線を上げると、いつものように営業用の笑顔を振り撒いている泰成の姿。
笑顔ではあるが、その目は到底笑っているとは思えない。
「あの、宮崎さん・・・?」
「拓弥くんも、お客さんが少ないからって無駄話してちゃダメですよ?」
「あ、はい。ごめんなさい」
「それでは、お客様。ごゆっくりどうぞ」
恐る恐る声をかける拓弥に穏やかに注意してから、もう一度誠一ににっこりと形ばかりの笑顔を向けて泰成もその場を立ち去る。
「相変わらず、怖いですこと」
その後姿を見ながら、誠一は呟いて一人コーヒーを啜った。







「ねえ、宮崎さん。いつも思ってたんだけど、誠一さんと何かあったの?」
閉店後の片付けをしていると、拓弥がおずおずと訊ねてくる。
「別に何もありませんよ?どうしてです?」
「なら、いいんだけど・・・宮崎さん、誠一さんが来るといつも様子がおかしくなるから、ちょっと気になって。 変なこと聞いてごめんなさい」
誠一に向けた笑顔とは全く違う、心からの笑顔で返せば、拓弥は素直に引き下がる。
そのまま後片付けに戻った拓弥を見ながら、泰成はそっと気付かれないように息をついた。
拓弥にはああ言ったが、何もなかったわけではない。
だが、それはもう忘れたいことであり、現に忘れたと思っていたのだ。
拓弥がバイトを始め、しばらくしてから誠一が拓弥を訪ねて目の前に現れるまでは。

”お前・・・泰成、か?”

拓弥に知り合いのお兄ちゃんだと紹介された時、それなら挨拶でもと顔を出した僕の顔を見た瞬間、驚いたような誠一の表情が忘れられない。
だが形ばかりの挨拶をした後、すぐに笑みを浮かべ、それから週1のペースでこの店に来るようになった。
あの時と変わらない笑顔を浮かべて、親しげに名前を呼んで。
まるで、二人の間に何もなかったかのように。
そう、あの頃のように。何も変わっていないのだと、告げるように。
・・・忘れたと、思ってたんだけどな。
もう、2年も前のことだ。あんな偶然でもない限り、もう二度と出会うこともなかったはずの人。

「・・・いつになったら、出て行ってくれるんだ」
呟きは、誰に聞こえることもなく、消えていった。







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05.01.04





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