real intention |
どこか気だるいのは、じめじめした天気のせいだと思っていたのだけれど。 「37.3℃。ちょっと熱あるな」 体温計を覗き込むように見てから、すでに背広を着こんでいる恭平は眉間にしわを寄せて呟いた。 朝食の用意を終えて、向かい合った瞬間に眉をひそめ、次には体温計を取り出してきた。 何ともないと言う拓弥を問答無用で座らせ体温を計った結果が、今の状態だ。 拓弥としては本当にちょっとダルいだけで普通に動けるし、騒ぐほどではないと思うのだが、恭平は聞き入れない。 「とりあえず今日は休んでた方が良いな」 「微熱だから大したことないよ。それに、今日はテストあるから」 ただの小テストだが、休むとキツい。何より、昨日必死でやりとげた宿題を期日に提出できないのは悔しくて仕方ない。 「・・・じゃあ辛いと思ったらすぐに帰ってくるんだぞ」 「うん、無理はしない。それより恭ちゃん時間大丈夫?今日は忙しいって言ってなかった?」 「ああ、そうだった。・・・あー、くそっ、出ないとまずいよなぁ」 手帳を開いてブツブツ予定を確認している恭平に苦笑しながら、拓弥は手を合わせて朝食を取り始める。 恭平はと言えば、本気でどうにか会社を休めないか考えているようだ。 心配してくれるのは嬉しいけれど、過保護だよなぁと他人事のように思う。 「ご飯も普通に食べられるし、心配いらないって。ね?」 結局、病人であるはずの拓弥に言いくるめられて、ようやく恭平も渋々ではあるが折れたのだった。 「―――・・・あー・・・ヤバいかも」 頭がフラフラする。 怖くて計ってないから分からないけれど、確実に熱は上がっている気がする。 昼過ぎから本気でだるくなってきたのだが、早退なんかした日には保護者である恭平に連絡が言ってしまうだろうから、根性で乗りきった。 クラスメートたちは口を揃えて、顔色が悪いだの早く帰れだのと言ってきたくらいだから、見た目でも相当ひどいのかもしれない。 恭ちゃんにバレないようにしなきゃなぁ・・・ とりあえず家に帰ったら寝よう。寝てれば治るはずだから、何とか夜までに熱を下げなくては。 もうすぐ家につく。それまではと、どうにか気力を振り絞って歩いていると、マンションの前で見慣れた人影が目に入った。 「・・・宮崎さん?」 「あ、おかえりなさい。んー、やっぱり熱上がってる感じですね。鍵出せます?」 拓弥の顔を見るなり心配げに眉を寄せた泰成に言われるがまま、あれよあれよと言う間に部屋に入り、パジャマにまで着替えさせられてベッドの中にいた。 展開の早さと気だるさが混ざって、完全になすがままだ。 「何か食べられそうなものはありますか?」 「あんまり食べたくないです・・・」 「ダメですよー、食べなきゃ治りません。やっぱり定番はおかゆですかねぇ」 勝手に冷蔵庫開けますよーと言いながら部屋を出ていった泰成をぼんやり見送りながら、何でここに宮崎さんがいるんだろうと今更ながら考える。 まあ、おおよその予想はできるけれど・・・ 「おまたせしましたー」 「あの、宮崎さん?」 「はい?あ、何か食べたいものありました?おかゆ作ってきちゃったんですけど」 「いえ・・・えっと、何でここにいるんですか?」 しばし沈黙。 笑顔のまま固まった泰成は、数秒後にようやく首をかしげることで意識を戻す。 「あれ、説明しませんでしたっけ?」 こくこくと頷くことで肯定すると、恥ずかしそうに軽く頬をかいている。 「恭平さんから電話もらったんですよ。朝、拓弥くんの調子が悪そうだから時間があったら様子見てきてって」 返ってきた応えは、やっぱり予想通り。 思わずため息が出てしまうのは仕方がないと思う。 「俺、もう高校生なのに」 過保護すぎではないだろうか。 いや、確かに来てくれたのは凄くありがたいし、助かるんだけど。 「心配なんですよ。拓弥くん、すぐ無理するから」 「・・・無理なんて、してないのに」 それどころか、いつもいつも甘えてばかりなのに。 恭平にだけでない、誠一にも泰成にも甘やかされてばかりだ。 それは妙にくすぐったくて嬉しいことだけど、もう少し自立しなければとも常々思っている。 「たぶん恭平さんは甘えてほしいんですよ。まあ、それは恭平さんだけじゃないですけど」 「いつも甘えてるんだけどなぁ」 「まだまだ足りないんですよ、きっと。成長していく姿を見るのは、嬉しい反面、寂しいものですからね。だから、こんなときくらい遠慮なく甘えちゃってください」 言ってくれることは何となく分かるのだが、さすがに「はい、あーん」に応えられるほどの子どもでも大人でもない。 しかし笑顔の泰成が素直に引いてくれるわけもなく、結局根負けして口を開くことになる。 「この姿を恭平さんや先輩が見たら悔しがるでしょうねぇ」 内緒にしなきゃと言っているわりに楽しそうにしている様子から、確実に話すだろうと予想される。 多少の脚色くらいはして、さりげなさを装いつつ思う存分語りそうだ。 4人を比べたら泰成が最強なんじゃないだろうかと思うのはこんなときだ。 もちろんそんなこと口になんて出せないし、「言わないで」と言ったところで無駄だろうから、与えられるままにおかゆを食べていくしかない。 「さてと、じゃあ後は休むだけですね。薬はどうします?市販のをとりあえず飲んでおきますか?」 「酷くなったら飲むから良いです。食べたら眠くなってきちゃったし・・・」 「じゃあゆっくり休んでくださいね。僕は今日はバイト入っちゃってて、遅くまでいられないんですけど、恭平さんもできるだけ早く帰るって言ってましたし」 「うん、ありがとう」 「時間まではいますから、何かあったら遠慮なく言ってくださいね」 泰成の優しい言葉を聞いたのを最後に、なにかに飲み込まれるように眠りに落ちた。 「ただいまー」 ドアを開け、習慣で声をかけるが電気もついていない部屋からは何の返事もない。 予定よりだいぶ遅くなってしまった。 どうしてこういうときに限って面倒ごとがあるのだろうと心の中で存分に上司を罵りながら、心配で逸る気持ちのまま拓弥の部屋へ迷わず進む。 そのままドアを開けようと手を伸ばしたところに、ちょうど目のつく場所に一枚の紙切れが張り付けてあるのを見つけた。 『だいぶ落ち着いていますが薬は飲んでいないので、夜にまた熱が上がるかもしれません。そういうときって不安になるもんですから、存分に甘えさせてあげてくださいね』 言葉の最後に、ご丁寧に解熱剤までテープで張り付けてある。 用意周到と言うか何と言うか。 行動パターンを読まれているようなのが少し癪だが、ここはありがたく思うところだろう。 テープで簡単に止められているだけのそれを剥がして、水を取りに一度キッチンへと足を向けた。 「拓弥?」 小さく声をかけると、ベッドの上にある固まりが動いた。 どうやら目を覚ましたらしい。 電気はつけないまま、そっとベッドまで近づいて腰かける。 「恭ちゃん?」 「ただいま。具合はどうだ?」 「大丈夫・・・」 大丈夫と言っているわりに、首の辺りまで被せた布団から出てくる様子はない。 額に手を伸ばすと、びくりと体を震わせて避けようとまでする。 汗で額に張り付いた前髪を分けてから、こつんと額をあわせる。 「どこが大丈夫なんだ。まだ熱い」 「・・・そうでも、ないもん・・・」 どこか子ども口調になっている時点で、大丈夫じゃないことは明確だ。 昔から熱を出して寝込むと、甘えたそうな素振りを見せながらも強がって見せていた。 だけど、いつもより子どもらしくなって、それがちょっと嬉しかった覚えがある。 拓弥が寝込むのなんて随分久しぶりだが、その癖はまだ抜けていなかったらしい。 「とにかく。薬持ってきたから、飲んで休め」 「・・・にがいの、やだ」 「錠剤飲めるようになっただろう?流し込んじゃえば味なんて感じないから」 恨めしそうに見つめてくる拓弥の頭を軽く撫でてから、半ば無理矢理薬を飲ませる。 苦味なんて感じる間も無く飲み込んだだろうに、しかめ面を浮かべる拓弥を寝かしつけて、もう一度頭を撫でてやる。 「拓弥が寝るまで側にいるから。安心して寝ろ」 「ホント?ずっと側にいてくれるの?」 すがるような声で、小さく呟く。 ついさっきまで口先だけでも「大丈夫」だと言っていたのが嘘のようだ。 それでも、こんなときにも「側にいてくれ」と言わないのが悲しかった。 拓弥が望めば、一晩中側にいることなんて苦でもないのに。 望んでさえくれれば、ずっと、いつまでも側にいてあげられるのに。 ・・・・・・拓弥の望みを一度拒んだのは紛れもない自分で、いまだに拓弥の中に不安という形を残しているのも分かっているのだけど。 ちくりと、胸が痛む。 そんな資格なんてないのは、分かっているのに。 「一緒にいるよ。いなくなったりなんかしない。ずっと一緒だ」 まるで誓いだ。 優しく声をかけると、拓弥はホッとしたように力を抜いて目を閉じた。 そのまま静かな寝息を立て始める。 「・・・ずっと、一緒だからな」 だから安心して、おやすみ。 もう声は届かないだろうけれど、言わずにはいられない。 いつか、拓弥が心から素直に望みを言えるようになる、その日まで。 拓弥をずっと守っていける男になるから、だからもう少し俺を頼って? 時折目を覚ましては不安がる拓弥の側で、恭平は一晩中祈るような気持ちで看病を続けた。 次の日、見舞品と称した果物を山ほど抱えた誠一と泰成が来たときには、拓弥の具合もだいぶ良くなっていた。 熱が引いた拓弥には、昨夜のように不安な様子は微塵も感じられない。 とは言え、拓弥は病みあがりだし、恭平も一晩中看護して寝不足だ。 構うのも面倒で早々にお帰りいただこうとしても、二人はひたすらに拓弥の心配をするだけで恭平を気にする様子はない。 それどころか追い討ちをかけるように、泰成はにこやかに昨日の拓弥の様子を話し始めた。 当の拓弥はと言えば、少し恥ずかしそうにしつつもにぎやかな様子に楽しそうに笑うばかり。 もしかして俺、宮崎に負けてるんじゃないか・・・などと悲しいことを思いつつ、恭平は拓弥の側でにぎやかな土曜日を過ごしたのだった。 08.08.31 |