近くて遠い距離 (10) |
無気力と言うのは、今のような状態のことかもしれない。 泰成が消えてから1ヶ月、結局一度も姿を見ることはできないでいる。 元々、興味本位で近づいただけだ。いなくなったら、それで良いじゃないか。 言い聞かせるように何度も何度も思っては完全に消せることなど出来なくて、忘れようと酒や煙草に手を伸ばす。 以前のように適当に遊んでいれば忘れられるかもとも思ったが、どうでも良い相手とのくだらない会話は退屈なものでしかなく、結局一人部屋にこもっている時間が増えた。 何度か恭平から連絡が入ったが、適当な返事でかわしている。 携帯を開いたついでに、切った相手のメモリも消していく。 やたら多かったメモリが整理されると、携帯まで軽くなった気がした。 泰成の番号は、契約すら解除されているらしく繋がることはない。 完全に意味をなさないメモリになったわけだが、その名を消すことはできなかった。 ふいに、呼び鈴が鳴った。 面倒でそのまま無視していると、今度は携帯がけたたましく鳴り響く。 ディスプレイを見れば、そこには姉の名前が表示されていた。仕方なく通話ボタンを押す。 『さっさと出なさいよ。部屋にいるんでしょう?』 「んだよ、美里。何か用か?」 『用がなければ来ないわよ。いいから開けなさい。部屋にいるのは分かってるんだから』 声に続けて、再び呼び鈴が鳴る。 どうやらドアの前にいるのは美里らしい。重い腰を上げて、のろのろと鍵を開けた。 「・・・酷い顔。部屋も酷いけど、あんたが一番酷いわ」 久しぶりに会った第一声目の方が酷いものだと思うが、否定する気も起こらない。 事実、部屋全体も荒れた雰囲気が感じられる汚いものだし、テーブルの上に置かれた灰皿は、煙草の吸殻で山ができている。 自分の顔がどれだけ酷いものかなんて・・・見たくもない。 「文句言いに来ただけなら、さっさと帰れよ」 「母さんから頼まれものしたから、届けにきてやったのよ。誰かさんは何度連絡しても気のない返事しかしないからね。それにしても・・・何があったわけ?」 「・・・」 「最近のあんたになら美希の世話任せても良いと思ったんだけど、私の気のせいだったのかしら?」 「・・・好きって気持ちが分からないヤツには、任せられないんじゃなかったのか?」 それが美里の口癖だった。 実際に、遊び歩いていた俺ひとりでは、美希と遊ばせてもくれない。 過保護だと思ったが、姉の判断は正しかったんだろうなと今の状況を見たら思う。 「そうよ。だけど、あんたは分かったんでしょう?まあ、それがどういう結果になってるかは分からないけれど」 言って、美里は荒れた部屋を見渡す。 どこから見ても、良い結果になっているとは思えないだろう。 しばらく無言のまま。真っ直ぐな視線を受けて、たまらず俯いてしまう。 「・・・わかんねぇよ。好きだって、思ったのに。伝わってると思ったのに、突然消えるんだ。全然わかんねぇ」 「それで?あんたは、いつまでここで腐ってるわけ?」 いつまで・・・いつまでだろう。諦めて、忘れるまで?それって、いつだ? 「諦めたければ諦めたら良いわ。でも諦めきれないなら、好きなだけ想い続けてなさい。ただ、その人に恥じないように生きてなさい。そうしたら、またどこかで巡り合えるかもしれないでしょう?」 「・・・・・・いつから運命論者になったんだよ」 「そうね、美希が生まれてきてからかしら」 否定も悪びれる様子もなく言い切る美里に、思わず笑いがこぼれる。 「ああ、そうそう。美希がね、あんたに会いたがってるわよ。誠一おじちゃんと遊びたいんですって」 「誠一お兄ちゃんだって、ちゃんと教えておけよ」 「自分で言いに来なさい。じゃあね」 言いたいことだけ言って、さっさと帰ってしまった美里だが、話す前より気持ちが軽くなっている。 姉らしいことを大してされた覚えはないけれど、それでも姉は偉大だ。 悔しいから、そんなこと本人には絶対に伝えてやる気はないけれど。 それからしばらくして、久しぶりに帰った実家では、もう特に姉は何も言わなかった。 ただ自分の娘を俺の腕に抱かせ、「任せても平気ね?」と微笑んだ。 「おじちゃん、あそんでくれるの?」 美希は嫌がる素振りも見せず、期待のこもった目で見上げてきている。 「・・・お兄ちゃんって呼べたら、遊んでやるよ」 この日から、確実に実家と部屋の行き来が増え、日常の退屈さを感じることは少なくなった。 年度が替わるまでの間、何回か泰成が受けてそうな講義の教室近くまで行ったことがある。 だが、泰成が来ていないのか、そもそも見当違いで受けてすらいないのか、一度も会えたことはない。 結局、会えぬまま大学も卒業し、就職した今では、泰成を思い出すことも少なくなった。 相変わらず実家に戻って美希の面倒を見たり、無事に高校に入学してこっちに出てきた拓弥に構ってみたりと、思い出す時間が少ないと言うのが正しいかもしれない。 それでもアパートは同じところに住んでいるし、携帯の番号もアドレスも変えていない。 いつか向こうから連絡を取ってくれるなんて都合の良いことを期待して。 少しでも偶然会える確率を上げるために、在学中に煙草も止めた。 これは思いの外ツラくて、恭平に煩いと何度も言われたりしたが、それでも今のところ誘惑には負けていない。 まったく、自分でも笑えるくらいの未練だ。 いつからこんなに好きになってたんだろうと思うけれど、未だに明確な答えは出ていない。 ただ、もう一度会いたい。会って、話をして・・・できるなら、また側にいてほしい。 そのために出来ることがあれば、何だってやれると思う。 いつか姉が言ったように、恥じないように生きていられているかは自分では良く分からないけれど、少なくともいい加減だったあの頃や腐っていた時期に比べたら、断然マシな生き方だろう。 俺は運命論者じゃないけれど、再び巡り合えるような運命であるようにと願って、今日も前を向いて歩いていく。 「お前・・・泰成、か?」 再会は、予想もしない偶然。 微笑みを浮かべながら現れた彼は、俺を認めた瞬間に顔を強張らせた。 再び逃げられる前にすぐにでも捕まえてしまいたかったが、拓弥の手前にこやかな挨拶を交わすに留まる。 始めて会ったときと同じように、握手をかわす。少しだけ強く握ったその手は、あの時と違って少し熱かった。 止まっていた時が、再び動き出す・・・――― |