21:00 塚原と津山の場合 |
ピピっという軽い電子音に、ぼんやりと目を開ける。 視界が開け、そこに写るのは電気は明々と着いているのに、静まり返って妙に寒々しく感じる部屋。 緩慢な動作で頭を起こし、すぐ脇に置いてあった携帯で時刻を確かめる。 表示されている数字は、既に日付が変わったことを教えてくれた。 「・・・今日も、帰ってこないのかな」 手をつけられないと分かっていても、どうしても用意してしまう夕食を見ながら、拓弥はため息を漏らす。 つい何ヵ月か前までは、ここで向かい合って一緒に食べていた。 今日あった出来事を話して、笑って。他愛ないことでも楽しくて仕方なかったのに。 最後に顔を見たのは、何日前だろう。 「あんなこと、言わなきゃ良かったな・・・」 恭平の優しさが当たり前になっていて、これからもずっと一緒にいられると信じきっていたあの頃。 それでも、たまに不安になるときがあって、だから絶対的な言葉が欲しくて言ったのだ。 『俺たち、家族みたいなものだよね』 きっと恭平は、笑って頷いてくれると思っていた。 なのに、返ってきた言葉は、拓弥を一気に闇へ突き落とすもので。 『俺が面倒を見るのは、お前が高校を卒業するまでだ』 あれ以来、恭平の態度は急変した。 あからさまに拓弥を避けるようになり、何かと理由をつけては家にも帰らなくなった。 大学を卒業し、仕事を始めてからはなおさらだ。 何故なんて、今さら訊くこともできない。 胸を押し潰す痛みの一番の理由に気が付いてしまった今となっては、特に。 静まり返っている部屋。 いつ帰ってくるか分からない人。 小さい頃から慣れていたはずなのに、忘れていたはずのものを忘れさせてくれていたのは、誰でもない恭平その人だったのに。 「ひとりは、嫌だよ・・・恭ちゃん・・・」 何か暖かいものが頬にあたる感触で意識が浮上する。 「ん・・・」 「悪い。起こしたか」 ぼんやりと目を開けると、すまなそうな、それでいて少し嬉しそうな表情が見えた。 「恭ちゃん?」 「うん、ただいま。遅くなっちゃったな」 目の前に恭平がいることが不思議で、呆然としていると、寝惚けていると思われたのか苦笑しながら軽く頬をつねられた。 触れられたことで、段々と感覚が戻ってくる。 そうだ。今が現実で・・・さっきのは、過去の夢。 「今、何時?」 「11時半過ぎかな。何とか日付が変わる前に帰れたよ」 朝のうちから、今日は下手したら帰れないとぼやいていただけに、疲れてはいるもののどこかホッとした様子だ。 何時になるか分からないから待たずに先に寝てろと、先手を打つように言われていたので、渋々ベッドに入ったのが11時過ぎだった気がする。 絶対眠れないと思っていたのに、こうも簡単に寝入ってしまうとは。 自分に驚いていると、そんな様子に気が付いたのか、ネクタイを緩めた恭平が頭を撫でてくれる。 優しい手付きが嬉しくて、つい笑ってしまう。 「もう寝る?」 「風呂入ったらすぐ寝るよ。拓弥も明日学校だろう?」 それはもちろん分かってはいるけれど、目が覚めてしまえばもう少し話していたいのが本心なわけで。 「待ってちゃダメ?」 「んー・・・ダメ、とは言えないけど。眠くなったら無理しないで寝とけよ」 こんなときの恭平は、恋人と言うより保護者の顔。 ちょっと不満だとはさすがに口に出して言えないけれど、視線に気が付いたのか、軽くキスをくれた。 それだけで気分が浮上するなんて、単純だとは思うけれど。 ひとまず風呂に入ってくると部屋を出ていく恭平を見送って、ほうっと一息ついたところで、ふと気付く。 「おかえりって言いそびれた」 これは何がなんでも待っていなくては。 ベッドからおりていると小言をくらいそうだから、きちんと横になって気合いを入れた。 20分ほどして恭平が戻ってきたときは、横になっていただけに少し眠くなっていたが、意識はちゃんと保っていられた。 恭平も予想していたのだろう、楽しそうに笑みを浮かべている。 「・・・おかえりぃ」 「はい、ただいま」 色々話したいのに、睡魔の方が強い。眠気を払おうと目を擦ったら、やんわりと止められた。 「だから寝てろって言ったのに」 「だって・・・」 「仕方ないな。・・・温まってきたから、大丈夫だと思うけど」 言うと同時に、布団をめくって滑り込む。 温まっていた空気が逃げて代わりに冷気が入り込んでくる。 一瞬震えたが、すぐに恭平の腕にくるまれた。 「あったかい」 「それは良かった。俺もかなり温かい」 広くもないベッドだから、自然とくっつく形になるわけだが、さらにその距離を縮めるように身体が寄せられる。 「・・・恭ちゃん、おかえり」 「さっきも言ったぞ」 「うん、そうだね」 分かってはいても、何度だって言いたい。 帰ってきてくれた、って実感する言葉だから。 たった4文字の言葉ひとつで、幸せになれる言葉だから。 今は、遅くなるときは必ず連絡をくれるけれど、奥のほうでどこかに不安は残っている。 それを吹き飛ばしてくれるのは、やっぱりこの温もりだと思う。 「おやすみ」 話したいこととかいっぱいあったのに、耳元で聞こえた優しい声に導かれるように意識が遠退く。 心地よい温もりを感じながら夜を越せるのが幸せだと思いながら、拓弥は眠りに落ちていった。 08.12.04 |